2012年の中国における反日活動 - Wikipedia
2012年の中国における反日活動
2012年の中国における反日活動とは、2012年(平成24年)に発生した香港活動家尖閣諸島上陸事件以降に中華人民共和国と で実施されている反日デモ活動。特に日本政府の尖閣諸島3島の国有化以降に中国の各都市で行われた反日デモは、2005年の中国における反日活動の規模を超える最大規模のデモとなり、デモ隊が暴徒化し大規模な破壊・略奪行為に発展した。
概要
2012年(平成24年)8月15日に、中国本土・香港・マカオの活動家と、人民解放軍幹部が設立したフェニックステレビクルーが乗船する船舶が日本の領海を侵犯し、活動家数名が尖閣諸島(中国では「釣魚島」、台湾では「釣魚台」と呼ぶ)に上陸した。活動家の上陸と海上保安庁による検挙はフェニックステレビによって生中継された。この活動家等の逮捕・強制送還後、中国では反日デモが繰り広げられた。
9月10日に日本政府が尖閣諸島を民間から買い上げ国有化することを閣議決定すると、中国の各メディアは大々的に尖閣特番を編制し中国国民の反日感情を煽り連日に渡って反日デモが繰り返されるようになった。そして土曜日となった9月15日には、日中国交正常化以降最大規模で2005年(平成17年)の中国における反日活動を超える規模となる反日デモが中国各地で発生し、日本企業への大規模な襲撃が引き起こされる事態に至った。日系企業の工場や日系自動車会社の販売店などは徹底的に破壊された後に放火され、事後の操業が困難となった。また、日系スーパーやコンビニエンスストアは大規模な破壊と略奪行為に晒され、中国人が経営する日本料理店や路上を走行中若しくは駐車中の中国人所有の日本車も破壊された。このため、日本料理店や日本車所有者は被害を避けるため、閉店した上で店頭に五星紅旗を掲げたり尖閣諸島の中国領有を主張するステッカーを張るなど自衛策に追われた。
これらの騒乱では私服警察官や中国共産党員によってデモが扇動されたことが一部確認されており[1]、100元(約1,200円)をもらってデモに参加した人がいることや、デモを支援する出資者がいて当局による組織的動員の可能性があることも報じられている[2]。また当初は尖閣諸島国有化に対して穏便に対処する予定だった胡錦濤中国指導部だが、8月10日に李明博韓国大統領が竹島を訪問して日韓間で重大な問題になり、中国共産党内の保守派の「なぜ、中国だけが日本に弱腰なのか」という意見が強まり、次期共産党総書記に内定している保守派の習近平国家副主席の親友の栗戦書が先立って党中央弁公庁主任に就任すると、習近平が主導して対日強硬路線に転じ、反日デモを容認・推奨したことが報じられている[3]。
また、デモが拡大するにつれ参加者が毛沢東の肖像画を掲げる事例が見受けられたが、毛沢東を象徴として祭り上げるのは、経済格差が少なかった毛時代への国民の憧憬を利用して民衆の人気を集め、最終的に失脚した薄熙来と同じであり、経済格差による国民の不満の拡がりと保守派が台頭する中国の現状を表したものであると分析されている[4]。
反日デモの経緯
香港活動家尖閣諸島上陸事件以降
「香港活動家尖閣諸島上陸事件」も参照
2012年(平成24年)8月15日に香港活動家尖閣諸島上陸事件で中国の活動家らが尖閣諸島魚釣島に上陸し、日本の官憲に逮捕されて強制送還されたことから、8月18日、8月19日にはインターネットでの呼びかけで集まった参加者によりデモ活動が実施された。18日には中国の4都市で尖閣諸島の領有権を主張するデモ活動が実施され、このうち河北省成安県では数百人で行われ、尖閣諸島問題に合わせて日本製品不買や「日本軍国主義」への反対も主張された[5]。
翌19日には18日以上に多くの都市でデモが開催され、より多くの参加者が集まった。四川省成都では当初は数十人規模のデモ隊の複数が合流していき3000人以上にまで拡大した[6]。これを受けて日系企業の各商店を地元警察官が厳重警戒することになり、伊勢丹のように安全のために臨時休業の措置をとった店舗も存在する。広東省等の一部の都市では、デモの参加者が日章旗にバツ印をつけて燃やしたり日本料理店に乱入したりガラスを割るなど、一部暴徒化する事態も発生した[7][8]。
一週間後の8月25日と8月26日にもデモが実施された。25日に山東省日照市で実施されたデモ活動には約1,000人が集まり、警察官が警備する中約5キロメートルをデモ行進し、途中で日本料理店を見つけると警察官の制止を振り切りペットボトルや小石を投げつけ、入り口や2階のガラスを割った[9]。26日のデモ活動には各地で約数百人 - 千人の参加者が集まった。中国当局が民衆の反日活動を抑制すると政府批判に転化する可能性もあることから、一部のデモを容認している模様である[10]。
3島の国有化以降
「尖閣諸島国有化」も参照
東京都の尖閣諸島購入計画を阻止することで中国の反発を和らげ「平穏かつ安定的に維持管理するため」として、2012年9月10日に日本政府は、魚釣島、北小島、南小島の国有化を最終決定し、翌11日に埼玉県在住の地権者から20億5千万円で購入、正式に日本国への所有権移転登記をして国有化を完了した。これに対し、中国のほとんどのテレビや新聞などの多くのメディアが異例とも言えるほど大々的に尖閣特番を編成し、徹底的に中国国民の反日感情を煽った。
国有化が最終決定した同月10日から13日までに上海市だけでも日本人への暴行が多発し、報告されたものだけでも日本人4人が負傷した[11]。これについて中華人民共和国版Twitter[12]とも言われる「新浪微博」では「殴るのはよいことだ。痛快だ。小日本は最終的に滅亡してしまえ」「野田(総理)が罪を犯したからこうなるんだ」等と暴行を支持する書き込みが相次いだ[13]。また14日には広東省東莞で日本人が2、3人の中国人から背後から暴行され手や足にけがを負った[14]。
9月15日
- 国有化決定以後も比較的小規模なデモは毎日続いていたが、同月11日と13日に中華人民共和国外交部の報道官が「日本の誤ったやり方に対する義憤は理解できる」「中国全土が日本の誤った行動に憤りをたぎらせ、政府による正義の要求や対抗措置を支持している」等と発言し、暴力的なデモを容認するかのような姿勢を見せていたことから[15]、土曜日の同月15日にはデモの規模が一気に拡大し、中国の50都市以上で反日デモが発生し、各地に武装警察が投入されるほどまでに抑制が効かなくなった[16]。
- 北京の日本大使館前には、日中国交正常化以降最大の規模となる2万人のデモ隊が押しかけ、規制用の鉄柵を突破して卵や石を投げつけたり日章旗を燃やすなど暴徒化した[17][18]。江蘇省蘇州、陝西省西安、湖南省長沙ではそれぞれ1万人規模のデモが発生し、蘇州では暴徒たちが日系スーパー「蘇州泉屋百貨」の店舗を破壊し宝飾品などの商品を略奪し[19][20]、外国企業が多数集積している高新区にある通称「商業街」(正式名 淮海街)では、主に中国人が経営する日本食レストランやゴルフショップを無差別に破壊し営業不能に陥れた[21]。西安では一部の暴徒が武装警察によってホテル内部に拘束され、これに反発した屋外の暴徒たちがホテルのガラスを割るなどした[20]。このデモに遭遇した左官業・蔡洋容は日頃食べるだけが精一杯という惨めな現状の鬱憤を晴らすため、デモにより身動きがとれなくなった一台のトヨタ・カローラに襲い掛かり、車を庇おうとした同乗していた李健利の頭部をバイクのU字ロックで数回殴り、興奮状態から上半身裸になり「愛国無罪!」「造反有利!」と叫んだ。李健利は一命は取り留めたものの、意識不明に陥り半身不随の後遺症が残った。蔡洋容はその後、中国版ツイッターである新浪微博の投稿が元となり、中国公安当局に逮捕された[22]。長沙では当局者と見られる人物が反日スローガンを書いた横断幕を配り、暴徒たちが日章旗を焼き捨て、日本車のガラスを割ったり転覆させたり日系スーパー「平和堂」の2店舗を破壊・略奪・放火するなどした[19][23][24][25]。長沙の平和堂の2店舗は売り場全域が徹底的に破壊され、衣服、酒類、高級時計などの商品のほとんどが略奪され、被害総額は10億円超、数か月は営業ができない被害を受けた[26]。
- 山東省青島でも数千人規模のデモ隊の一部が暴徒化し、日系スーパー「ジャスコ黄島店[27]」のガラスを鉄パイプで破壊した後に商品を略奪し、パナソニックとミツミ電機の工場やトヨタと日産自動車の販売店を襲撃し徹底的に破壊した後に放火した[19][28]。徹底的に破壊されたイオン黄島店は商品の8割が略奪され被害総額は25億円に上り、現地社長の日本人は「これはデモではなくテロだ」と語った[29]。重慶市では3,000人規模のデモが発生し、四川省成都でも「セブン-イレブン」3店が破壊・略奪されるなどした[19][23][30][31][32]。
9月16日
- 9月16日には地方の中小都市を含む少なくとも108の都市で反日デモが行われ、全土で数十万人がデモに参加したと見られ[33]、各地では前日に比べて警察による警備体制が大幅に強化された。広東省広州では1万人規模のデモが行われ、一部の暴徒たちが日本総領事館への侵入を企て、総領事館と同じ敷地にあるホテル「花園酒店」のロビーや日本食レストラン、日本車を破壊した[34]。また同省深セン市では複数の数千人規模のデモが発生し、暴徒たちが市共産党委員会の庁舎に侵入したり警察車両を破壊し、これを止めようとした警察官に暴行したため、武装警察が放水し催涙弾も発射した[34]。北京の日本大使館前では武装警察が大幅に増員されたことから、デモは前日ほどの混乱にはいたらなかった。
- 日本人が暴行を受けたという情報はないが、北京では日本人がレストランで日本語を話すと脅迫され、タクシーの乗車拒否をされる事態が相次いでおり、深センでは日本人滞在者が嫌がらせの電話を受けた事例もあった[35]。
- 西安におけるデモ隊のリーダーの一人は西安警察幹部である中国共産党員の朱錮であることが確認されている[1]。その他の地域におけるデモも私服警官や治安部隊が指揮を執って行われた[1]。
9月17日
- 複数の都市でデモが行われたが、各地で警備が大幅に強化された上に平日ということもありデモの規模は格段に縮小した。また同日には地元警察が、15日に山東省青島や広東省の広州で破壊活動を行った暴徒の一部を特定して拘束したことを発表した。
9月18日
- 9月18日は満州事変の発端となった柳条湖事件の発生した日であり「国恥日」として中国国内では毎年反日が盛り上がることから、日系企業や日本人にとって今回の相次ぐデモで最も危険な日と認識されていた。このため被害を受けていない各地の日系企業の生産工場や日系商店でも危険を避けるため臨時休業とする事例が相次いだ。また9月16日に東シナ海での休漁期間が開け、9月18日には中国の漁業監視船「漁政」が1,000隻の漁船を引きつれて尖閣諸島にやってくると日中のメディアで報じられ、領海を侵犯して日本の海上保安庁や警察勢力と衝突し、近海に展開した自衛艦[37]と中国海軍艦艇の衝突の可能性も懸念されていたことから、中国国内のデモの行方についても一層緊張感が高まった[38]。結局、過去最多となる12隻の中国公船(海洋監視船「海監」10隻と漁業監視船「漁政」2隻)が接続水域に進入し、3隻が一時領海を侵犯したが、1,000隻の大漁船団は現れなかった[39]。これに対して海上保安庁は日本全国から巡視船を増派し過去最大の50隻体制で警備にあたった。
- この日のデモはこれまでで最大となる110都市以上で行われ、遼寧省瀋陽市では2000人がデモに参加し、日本総領事館に投石しガラス67枚を割り、周囲の日系企業や日本食レストランにもペットボトルなどを投げつけた。北京の日本大使館では早朝にガラス球や金属などでガラス6枚が割られているのが発見され、大使館前では5,000人が「島を返せ」等と叫びながらデモ行進をし厳重に警備する警官隊ともみ合いになった。上海の日本総領事館でも1万6千人あまりがデモに参加し「日本を滅ぼし沖縄を取り戻せ」等と書かれたプラカードを掲げてデモを行ったが[40]、現地警察が厳重に警備・統制をしたため15日のような大きな破壊行為はなかった。広東省広州でも日本総領事館の前で1,000人あまりがデモを行った[41]。雲南省珠江のアウディの販売店では中国人スタッフ達が「也要殺光日本人、也要収復釣魚島(日本人を皆殺しにしろ、魚釣島を取り戻せ)」という横断幕を掲げたことから、アウディジャパンはTwitterの公式アカウントで日本国民に謝罪した[42]。また上海のユニクロの店舗が現地従業員の判断で中国の尖閣領有を主張する張り紙を掲げたため、ユニクロと持株会社のファーストリテイリングは「一企業が政治・外交に関していかなる立場もとるべきでない」との考えから遺憾の意を示し、再発防止に努めることを発表した[43]。
9月19日
- 中国政府が反日デモの抑制を強め各都市でデモ禁止の通達を出したことから、中国全土で数箇所でしかデモは行われなかった。また「新浪微博」では、当局の規制(金盾)により「反日」のキーワード検索が出来無くなった。