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[転載]昌原では”済州4.3”市民焼香所襲撃

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昌原で”済州4.3”市民焼香所襲撃 一晩で誰かが壊す

乱立する焼香所に腹を立てる韓国人、韓国内の葛藤にニホンからは声援メッセージ
火は付けなかった? 




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[NEWSミーナ]済州4・3事件70周年を迎え、慶尚南道昌原(キョンサンナムド・チャンウォン)に設置された市民焼香所が夜中に原型が分からないほど破壊された。

'済州4・3 70周年記念事業会慶南委員会' はこの3日、昌原(チャンウォン)市義昌区チョンウ商店街前の歩道に済州4・3事件の犠牲者らを追悼するために市民焼香所を設置した。

1948年に始まった済州4・3の事件は、韓国現代史の大きな悲劇だった。 単独政府樹立の反対と連携された南朝鮮労働党済州島支部の武装蜂起を鎮圧する過程で、罪のない住民が犠牲となった。

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市民たちと共に、これらの犠牲者の魂を称えるために設けられた市民焼香所は当初5日まで運営される予定だった。

しかし、焼香所は設置から一日も経たないうちにすっかりつぶれた。 

カッターの刃のような鋭い道具で引き裂いたようにテントが破損しており、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正淑(キム・ジョンスク)女史を卑下する落書きもたまに目立った。

焼香所にあった菊や椅子、横断幕など何もまともなものがなくてそれこそ修羅場だった。

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焼香所には通る市民たちが立ち寄って焼香した。 一晩中焼香所を守る人はいなかった。 慶尚南道委員会は3日夕方、市民焼香所を運営した後、閉めておいた。

あっちの民主党キム・ヨンジン慶尚南道議員予備候補は "今朝、昌原(チャンウォン)市役所交差点で出勤の人事をした後、焼香所を訪れて焚香を終えた後、帰宅しようとしたて朝6時50分見たら焼香所が破損していた" と話した。

キム候補は "一晩中、風が強く吹きもしなかった。 自然的に破損されたのでは見えず、誰か壊したものとみられる" と話した。

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現場は現在、毀損された状態そのまま保存されており、'済州4・3 70周年' 焼香所は反対側の道沿いに再び建てられ、予定通り運営される。

委員会の申告を受け付けた警察は、焼香所を破損(財物損壊の)の一人に対する捜査に着手した。

昌原(チャンウォン)中部警察署の関係者は"科学捜査チームなどで現場を鑑識し、目撃者の供述とともにCCTV映像を確保・分析している"、"落書きの内容などを見て正常人ではないという疑心さえ生じる。 迅速に検挙する"と話した。

これに対して、委員会の関係者は "市民たちが来ては、焼香をしていたが、今回のテロにただ、惨憺たる思いだけだ"、"まるで済州4・3事件の凄惨な当時を思い出させて現場を片付けていない。 遺族の人々の心に傷を、さらに大きくしたようで心が重い" と話した。


(ソウル/みそっち)



ニホンがいなくなるとたくさんの財産がそのまま半島に残ったわけですよ。朝鮮半島には爆撃も空襲もありませんでしたからそっくりそのまま残っていたのですね。
盛業中の企業もあったし材料や製品、住むところや着るもの履物。銀行も商店も警察の機構もお役所の役職や学校の教員とかのポストまですべて早いもの順に奪い合いをしたのでした。

そのときに財産を手に入れた人たちのことを韓国では ”親日派” と呼んでいます。
親日派の財産没収って聞くと「すごいね」という感想を持ちますが、そのきっかけは早いもの順で利権の奪い合いに勝った勢力と乗り遅れた勢力が韓国の葛藤の根源となっています。 なにしろタダで転がり込んできたチャンスでしたが、半島南部のほうは財産の集中していたソウルから離れていたので不平不満がそのまま残っていたりするわけです。ですから ”親日派の財産没収” という名目で行われた行為が、財産の再分配ということで国民から支持されやすいという国民性があるのです。

奪い合いに乗り遅れた不満がそのまま暴動になって順天麗水の暴動になってみたり、済州島でも同じことが起きました。それを鎮圧するのがいて、ニホンに逃げてきたのや対馬に流れ着いたのがあるのは皆さんもよくご存じだと思います。
済州島の人口の7割が逃げたり殺されたりしています。(済州島の当時の人口は数万人)ですから現在の済州島の住人は日帝の財産の分配に乗り遅れた人を追い出してそこに新たにやってきて居座ったひとたちなのです。虐殺なんて身内に被害者が一人もいないので何十年も誰も追悼もしなかったのです。それで文句は無いし、埋めたことがバレるとマズイのは自分たちですから焼香所なんてものは現在でも済州島にはありません。

そのほかにも分配のチャンスは、朝鮮戦争が始まって、韓国軍後退~ソウル陥落~国連軍のソウル回復ですね。この時にソウルに早く戻ったひとが”留守だった家”を乗っ取ります。遅れて帰ってきたひとを”共匪”として密告すれば韓国軍と警察がすぐに銃殺して埋めてくれるのでそれで完了です。ついでに戸籍も焼けちゃったことにして土地の名義を自分のものにしちゃったなんていうことが長いことゴタゴタしていました。 なにしろ半島の釜山付近までキタ朝鮮がやってきたわけですよね。 
すると、韓国のほとんどが敵の占領地ってことになるので、そのときに家に残って土地家屋を守った人なんていうのは敵軍のお味方をしたものだと認定されちゃうんです。



そういうわけですから農地もそのときにすっかり耕作者が入れ替わっています。
なかには村ごと住民から村長まで入れ替わったところまであります。 それでも分配には不満がありますから、それが韓国の国内の葛藤につながっているのです。

こうした社会現象のことを、ニホンの統治が終わって韓国人の看守の手によって刑務所の囚人をすべてのこらず釈放したことを引用しながらパンドラの箱が開けられたと説明されたりもします。
自身を正当化するには、”日帝支配” がすべて悪い>>>と自分に言い聞かせる必要があるのでニホンのやってきた統治を否定するのです。そうなると犯罪者が英雄になりテロリストが義士になるということですよ。

そんな過去をほじくりたくない>>>>ということになれば、自分の代わりに誰でも恨むという社会構造が出来上がっていくわけです。犯罪者のやさしい社会の出来上がりです。

戸籍の復活(改ざん)が平気で行われるようになったり、今でも名前や住民登録番号が自由に変えることができるというのもそういう背景があるからです。

そうして社会に不満があるので、目障りなものを踏んだり蹴ったりすることがイイことだと認識されているのです。



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ふひぃ




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転載元: minaQのつぶやき 네토미나


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