日本軍による1937年,国民政府首都南京に対する攻略、12月13日から約6週間の
日本軍の国民政府軍捕虜、敗残兵、便衣隊(民間人の衣服を身に着けたゲリラ)そして民間人への残虐行為に関する、中国および日本のサイトや書かれたものは非常に多く存在する。
これらの著作物の唯一の難点は、第三者が観察し、記録した合理的な証拠に基づいた内容に薄いことだ。
当時の南京は日本軍の攻撃にパニック状態になり、国民政府軍の指揮命令系統が統一されてなく、それを
恐れた欧米人、外交官、ジャーナリストなどが殆ど同地を離れ、ジョン・ラーベ以下数名の欧米人しか残っていなかった。
第二次大戦後の戦勝国による裁判で、松井石根陸軍大将、第6軍師団長谷寿夫中将が、日本軍の南京の残虐行為の責任をもって処刑された。
この根拠は中国側のこの6週間に30万人の民間人が殺害されたと言う主張で、現在でも一部欧米人、または日本人にも、このプロパガンダを信じている人たちがいる。
この数字(大体中国統計は正確なのかの議論に戻るときりはないが)には以下のような幾つかの矛盾がある。
1)当時の南京住民はそれほどおろかでない、周辺も含め25万人の人口の殆どが避難していた。避難してなくても根こそぎ殺すことは大量破壊兵器を使用しなければ不可能だ。30万人は人口より大きい数字だ。
2)欧米人など第3者の証言が極端に少ない。
3)米国に残された写真の数々は後に作られた合成写真だ。(筆者がニューヨークタイムズ紙に指摘した。)
4)殺略方法。洞冨雄先生の言うように機関銃を使う、またガソリンで焼殺する、は非現実的だ。
(どんな兵器でも逃げる人間を殺略することにかけては効率が良くない。特に機関銃はそうだ。)
5)便衣隊は国際法上、処刑されてしかるべき存在だ。
朝日新聞は全面的に本多 勝一記者記事の通り、中国側の言う「南京大虐殺」は存在したとしている。
30万人を殺害するに、この攻撃での日本軍の装備で現実的であったのは、20万人の一人一人の兵士が、銃剣で中国人一人を必ず刺殺すれば20万人はいく。しかしその必然性、合理性はあったのか。
むしろ国民政府は門を閉じて撤退する自軍兵士の混乱をいたずらに招いたと言う。あるいは捕虜は大量逃亡するために寒い河を渡ろうとして大量溺死したとも言われている。
どんな戦闘にしろ、明確な命令指示なしに、最高責任指導者(蒋介石)が真っ先に撤退したら、その混乱は想像を絶する。
日本軍の行為で責められるべきものは、その後の重慶無差別都市爆撃だ。これによる民間人の犠牲は
痛ましい。もし日本軍が核兵器を保持していたらためらずに使用したに違いない。
画像は軍用犬を同行する「残虐なる」日本軍兵士。「中国戦線の日本兵より」(この犬達も国民政府の捕虜になれば食されてしまったかもしれぬ。)