朝鮮戦争
成立したばかりの大韓民国(韓国)と
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、
参戦国 一覧
国連軍(22カ国)
大韓民国:兵力98,000人
(14歳から17歳の少年少女14,400人)
国民防衛軍 406,000人
アメリカ合衆国:兵力302,483-480,000 人
イギリス:兵力15,700人
フランス共和国:兵力7,400人
オランダ王国:兵力7,200人
ベルギー王国:兵力5,600人
カナダ:兵力5,400人
トルコ共和国:兵力4,600人
エチオピア帝国(当時):兵力1,200人
タイ王国:兵力1,100人
フィリピン共和国:兵力1,100人
コロンビア共和国:兵力1,100人
ギリシャ王国(当時):兵力1,000人
オーストラリア:兵力900人
ニュージーランド:兵力800人
南アフリカ共和国:兵力800人
ルクセンブルク大公国:兵力400人
その他インドなど
医療スタッフ
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デンマーク
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イタリア
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ノルウェー
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インド
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スウェーデン
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- 掃海
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Clik here to view.日本(連合国占領
- 日本は参戦国に算入されていないが、
- 上述の通り国連軍の指示により
- 8,000人以上の規模で
- 特別掃海艇を派遣、死者も出している。
朝鮮民主主義人民共和国:兵力135,000人
中華人民共和国(抗美援朝義勇軍)兵力780,000人
ソビエト連邦:兵力72,000人
( 金日成に武器を援助している。また、ソ連軍パイロットが中国兵に扮し局地的な戦闘を行っていた)
諸外国が交戦勢力として参戦し、
朝鮮半島全土が戦場となって荒廃した。
1953年に休戦に至ったが、
北緯38度線付近の休戦時の
南北二国に分断された。
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現在も両国間に平和条約は結ばれておらず、
緊張状態は解消されていない。
武力衝突がたびたび発生している。
日本が連合国に降伏したが、
その時点でかつて日本が併合していた
朝鮮半島北部には
日本の降伏後も進軍を続けていた。
同じく
ソ連の急速な進軍により
朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、
ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案した。
ソ連はこの提案を受け入れ、
北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。
その後米ソの対立を背景に、
南部は大韓民国、北部は北朝鮮として建国した。
南北の軍事バランスは、
ソ連および
1949年に建国されたばかりの隣国である
中華人民共和国の支援を受けた
北側が優勢であり、
朝鮮半島の統一支配を目指す北朝鮮は
韓国軍主力が半島南部に移動していた機を見て、
防御が手薄となっていた
国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った。
侵攻を受けた韓国側には
進駐していたアメリカ軍を中心に、
国連軍(正式には「国連派遣軍」)が参戦し、
一方の北朝鮮側には
中国人民義勇軍(または「抗美援朝軍」「志願軍」。
実態は中国人民解放軍)が加わり、
直接参戦しないソ連は
アメリカとソ連による代理戦争の様相を呈した。
終戦時の朝鮮の政治状況
1945年8月14日に通告された
宣言に則り日本は
朝鮮半島の統治権を放棄することとなった。
朝鮮半島内では
日本の統治からの
独立運動を志向する諸勢力も存在したものの、
多くは日本による統治を受け入れ
半島内で統一的に導ける組織は存在していなかった。
このような組織は
朝鮮半島内よりもむしろ国外にあり、
亡命先での活動が主だった。
大きく分けると
中国共産党指導下にあった
アメリカ国内における
朝鮮半島や 中国における
利権に敏感な活動家などが挙げられるが、
いずれも大きな支持を得るに至らず、
その影響力は限定的なものであった。
このような情勢から戦勝に際しても、
朝鮮全土にわたって 独立建国に向かう
民意の糾合が醸成されていなかった。
日本による統治からの突然の「解放」は、
あくまで連合国軍により
「与えられた解放」であり
各勢力の利権争いであった。
朝鮮人が
自らの力で独立を勝ち取ることができなかったこと、
独立運動の諸派が
解放後の、それも数年間にわたり
激しく対立し続けたことは
南北分断にも少なからず影響し、
その後の朝鮮の運命を決定づけた。
・・・・・・・・・・・・その2に続く・・・・・・・