「南京虐殺」という日中問題は、もともと戦争は1937年暮れから38年初頭にあり、それ以後、日中間で問題になることはなかった。しかし、1981年に朝日新聞出版がだした本多勝一の著書が創造したものだ。それを読んだ日本人が「南京で虐殺があった」と思ったことによって、始まった事件だから、日中問題というより、日本の中の反日日本人の問題、つまり日日問題である。
この「本多捏造事件」と呼ぶべき犯罪がなかなか打ち消されないのは、
1)世界で自分の国が非難されることを積極的に言う人はほとんどいない、
2)特に世界で自分の国が非難されることをねつ造していう人はいない、
3)世界で自分の国が非難されることを、良く調べないで宣伝する国民はいない、
という現実があるからだ。
1937年、中華民国軍が上海に国際条約に基づいて駐屯していた日本軍を攻撃し、第二次上海事変が起こった。戦火は拡大し、敗走する中国軍を追って日本軍が上海の近くの首都南京まで進軍し、南京を攻略したのが南京事変である。
もともと、国際条約を破って日本軍を攻撃してきたのは中国軍であり、日本軍が南京を攻撃する前に南京にいた中国一般人の人口が20万人、戦後の調査で同じ20万人だから、南京虐殺は事実ではないのは明確である。
ところが戦争が終わって36年たった時に、朝日新聞の記者の本多という男が上海に2泊三日して中国人3人にあい、その体の傷と「日本軍が中国人を殺した」という伝聞をもとにねつ造したのが「南京虐殺」である。
※以下略
(平成26年1月14日)武田邦彦
この「本多捏造事件」と呼ぶべき犯罪がなかなか打ち消されないのは、
1)世界で自分の国が非難されることを積極的に言う人はほとんどいない、
2)特に世界で自分の国が非難されることをねつ造していう人はいない、
3)世界で自分の国が非難されることを、良く調べないで宣伝する国民はいない、
という現実があるからだ。
1937年、中華民国軍が上海に国際条約に基づいて駐屯していた日本軍を攻撃し、第二次上海事変が起こった。戦火は拡大し、敗走する中国軍を追って日本軍が上海の近くの首都南京まで進軍し、南京を攻略したのが南京事変である。
もともと、国際条約を破って日本軍を攻撃してきたのは中国軍であり、日本軍が南京を攻撃する前に南京にいた中国一般人の人口が20万人、戦後の調査で同じ20万人だから、南京虐殺は事実ではないのは明確である。
ところが戦争が終わって36年たった時に、朝日新聞の記者の本多という男が上海に2泊三日して中国人3人にあい、その体の傷と「日本軍が中国人を殺した」という伝聞をもとにねつ造したのが「南京虐殺」である。
※以下略
(平成26年1月14日)武田邦彦
日本を激怒させ国民党政府軍と戦争をさせる為に、中国保安隊によって日本人婦女子を含む二百二十三人が残虐に虐殺された「通州事件」や、「大山大尉惨殺事件」、更には、国民党政府軍に潜入していたコミンテルンのスパイである南京上海防衛隊司令官の張治中の謀略によって、上海に合法的に駐留していた日本海軍陸戦隊四千二百人に対して、三万人の国民党政府軍が総攻撃を仕掛けた第二次上海事変を起こすなど、中国は日本に対して次々に挑発を繰り返し、それまで自重し冷静な対応を取っていた日本も、中国との全面戦争を余儀なくされたのであり、不当に日本が中国を侵略したわけではない。
(中略)そもそも既に南京を攻略した日本軍にとって、南京で虐殺行為をする理由はない。
一方、通州事件や大山大尉惨殺事件、第二次上海事件などでの日本人に対する残虐行為には、日本軍を挑発し、国民党政府軍との戦争に引きずり込むというコミンテルンの明確な意図があったのである。
アパより