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東京裁判は司法殺人である!
東京裁判は公平であったか?
何故原爆を落とした軍人は裁かれなかったのか?
東京裁判の再検証が必要である。
東京裁判の裁判官を「殺人罪」で裁くべきだ!
軍事裁判においてなぜ非軍人だった広田弘毅・元首相が処刑されなければならなかったのか?
海外で「東京裁判は司法殺人である」とする複数の論証出る
NEWS ポストセブン 3月22日(日)16時6分配信
現在の歪んだ日米関係を紐解くには、やはり東京裁判の再検証が必要だ。近年、海外の識者、ジャーナリストのなかにも東京裁判に否定的な見解を示す者が少なくない。国際ジャーナリストの藤田裕行氏がそうした意見を紹介しながら、東京裁判の「連合国戦勝史観」からの脱却を訴える。
* * *
「戦後七十年、二十一世紀の日本は、未だにマッカーサーによって呪縛されたままだ」
そう語るのは、ヘンリー・スコット・ストークス氏。英国『フィナンシャル・タイムズ』の初代東京支局長、米国『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長などを歴任した、日本外国特派員協会の最古参ジャーナリストである。ストークス氏は近著『目覚めよ!日本』(日新報道刊、植田剛彦氏との対談)で「連合国戦勝史観の呪縛からの脱却」(副題)を訴えている。
「黒船で日本にやって来たペリーが、アメリカのために発見したのが横須賀でした。基地の占奪が来航目的だったのです。その一〇〇年にわたるアメリカの野望を実現したのが、マッカーサー元帥でした。
昭和二十年九月二日、日本の降伏文書調印式が、戦艦『ミズーリ』の艦上で行なわれました。その場所こそが、ペリーの黒船艦隊の旗艦『サスケハナ』の投錨地(アンカレッジ)でした。マッカーサーは、ペリーが浦賀に来航した時に掲げた星条旗の現物を、アメリカ本土のアナポリスにある海軍兵学校から、わざわざ取り寄せたのです。アメリカは一八五三(嘉永六)年にペリーが目的としたアメリカ海軍基地を、ついに手に入れたのです。それが、アメリカの横須賀海軍基地です」
ストークス氏も私も、日本外国特派員協会を「仕事場」にしている。斜め向かいには第一生命ビルがあり、マッカーサーは、皇居を睨むこのビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を置いた。
「公的組織のような名前をつけていますが、GHQはマッカーサー一人のものでした。神の御業の地上代行者と過信して、天皇も含め全てを意のままに操り、国際法も一切遵守することなく、占領政策を推進しました」(同前)
ストークス氏は、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判は、「欧米の秩序を脅かした日本に対する復讐劇」であり、連合国側の「プロパガンダ」に過ぎないと位置づけるが、彼のほかにも海外で、「東京裁判は司法殺人である」と論証する本が出版された。
『司法殺人』の著者デール・スミス博士は、現職のオーストラリア・ブリスベンの高等裁判所判事である。ブリスベンといえば、東京裁判のウェッブ裁判長の故郷でもある。不思議な因縁すら感じてしまう。私が邦訳準備をしているが、スミス博士は著書で、軍事裁判においてなぜ非軍人だった広田弘毅・元首相が処刑されなければならなかったのかと問題提起し、「広田の処刑は、『司法殺人』の疑いが濃厚である」と、法律の専門家の立場から論じている。
※SAPIO2015年4月号
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「戦後七十年、二十一世紀の日本は、未だにマッカーサーによって呪縛されたままだ」
そう語るのは、ヘンリー・スコット・ストークス氏。英国『フィナンシャル・タイムズ』の初代東京支局長、米国『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長などを歴任した、日本外国特派員協会の最古参ジャーナリストである。ストークス氏は近著『目覚めよ!日本』(日新報道刊、植田剛彦氏との対談)で「連合国戦勝史観の呪縛からの脱却」(副題)を訴えている。
「黒船で日本にやって来たペリーが、アメリカのために発見したのが横須賀でした。基地の占奪が来航目的だったのです。その一〇〇年にわたるアメリカの野望を実現したのが、マッカーサー元帥でした。
昭和二十年九月二日、日本の降伏文書調印式が、戦艦『ミズーリ』の艦上で行なわれました。その場所こそが、ペリーの黒船艦隊の旗艦『サスケハナ』の投錨地(アンカレッジ)でした。マッカーサーは、ペリーが浦賀に来航した時に掲げた星条旗の現物を、アメリカ本土のアナポリスにある海軍兵学校から、わざわざ取り寄せたのです。アメリカは一八五三(嘉永六)年にペリーが目的としたアメリカ海軍基地を、ついに手に入れたのです。それが、アメリカの横須賀海軍基地です」
ストークス氏も私も、日本外国特派員協会を「仕事場」にしている。斜め向かいには第一生命ビルがあり、マッカーサーは、皇居を睨むこのビルに連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を置いた。
「公的組織のような名前をつけていますが、GHQはマッカーサー一人のものでした。神の御業の地上代行者と過信して、天皇も含め全てを意のままに操り、国際法も一切遵守することなく、占領政策を推進しました」(同前)
ストークス氏は、極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判は、「欧米の秩序を脅かした日本に対する復讐劇」であり、連合国側の「プロパガンダ」に過ぎないと位置づけるが、彼のほかにも海外で、「東京裁判は司法殺人である」と論証する本が出版された。
『司法殺人』の著者デール・スミス博士は、現職のオーストラリア・ブリスベンの高等裁判所判事である。ブリスベンといえば、東京裁判のウェッブ裁判長の故郷でもある。不思議な因縁すら感じてしまう。私が邦訳準備をしているが、スミス博士は著書で、軍事裁判においてなぜ非軍人だった広田弘毅・元首相が処刑されなければならなかったのかと問題提起し、「広田の処刑は、『司法殺人』の疑いが濃厚である」と、法律の専門家の立場から論じている。
※SAPIO2015年4月号
極東国際軍事裁判(東京裁判)は国際法に照らし合わせると違法な裁判でした。
極東国際軍事裁判 FLASH
極東国際軍事裁判は、国際法に照らし合わせると違法であり、戦勝国の都合で裁かれた誤りのある裁判でした。しかし、未だに自虐史観にとらわれ、その裁判を信じている方々がいます。また、信じているが為に、「当時の日本軍が残虐な侵略戦争をしかけ、殺戮の限りを尽くした・・・」と思っている方がいます。その真実を捉えていない認識が、「戦没者は犬死だった、上官の命令で無理やり戦闘行為をやらされた、今日の平和は犠牲者の礎に成り立っている訳ではない・・・」などの、亡くなられた方々に鞭を打つ発言をする人がいるのも事実です。
極東国際軍事裁判は、国際法に照らし合わせると違法であり、戦勝国の都合で裁かれた誤りのある裁判でした。しかし、未だに自虐史観にとらわれ、その裁判を信じている方々がいます。また、信じているが為に、「当時の日本軍が残虐な侵略戦争をしかけ、殺戮の限りを尽くした・・・」と思っている方がいます。その真実を捉えていない認識が、「戦没者は犬死だった、上官の命令で無理やり戦闘行為をやらされた、今日の平和は犠牲者の礎に成り立っている訳ではない・・・」などの、亡くなられた方々に鞭を打つ発言をする人がいるのも事実です。
亡くなった戦没者、犠牲者を敬っています。また、その方々も、現在の世の中を憂いています。「天国にいったとき、今日の日本の荒廃ぶりを恥ずかしくて英霊達に報告できない。生きているうちに少しでもなんとかしたい・・・」と、仰っています。
また、戦って亡くなられた方々を、犬死とか礎になっていないなどと仰る方がいますが、私は理解に苦しみますし、英霊達をおとしめるような発言はしない方が良いと思います。
それに、そのような発言は、靖国神社を参拝している国民をも否定している発言です。
靖国は今日の平和の礎になった英霊達が眠っているので、なるべく足を運ぶようにしています。
戦没者に哀悼の意を捧げる自由を奪うような発言は避けるべきですし、そのような発言はされない方が、命をかけて日本を護ろうとし、愛している者の為に戦った戦没者に対して、より良い事だと思います。何時までも亡くなった方に、鞭をうつ発言は止めるべきだと思います。
そして、日本は無条件降服はしていないそうです。抵抗はしましたが、GHQ、マッカーサー元帥の傲慢さで、この裁判を受け入れるしかなかったのです。詳しくはこちらをご覧下さい。 それに、現日本国憲法は、GHQ、これもまたマッカーサーの手によって歪められたのです。当時は、マッカーサー憲法と呼ばれていました。詳しくは、こちらをご覧下さい。
マッカーサーは後に、「日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他、実に多くの原料が欠如している。そして、それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです・・・。」と公式ルートで言っています。
つまり、侵略戦争ではなく、防衛戦争だったのです。また、この裁判は誤りだったと認めている発言でもあると思います。これもまた事実です。この資料は、小学校、教員の方小林義典のホームページで発見しました。この先生は子供達に、東京裁判の事を教えています。とても素晴らしい先生だと思いました。
そして、靖国神社は、「昭和殉難者(元A級戦犯)は、戦勝国の都合で裁かれた・・・」と一貫して言っています。また、遺族の多くの方々も同じ見解でいると聞きました。このように、一方ではそのような方々もいるのも事実です。私は、偏っている認識では歴史は語れない、バランスが悪いと言っているのです。その偏りが日本を荒廃させている所もあります。そして、このような趣旨の発言をなさる方は、靖国の見解、遺族の方々の見解をどのように感じているのでしょう・・・。私は、凄く不思議です。
この東京裁判の立ち会ったインドのパール判事は、元A級戦犯は無罪と主張し、米軍の原爆投下も非難しました。米軍は、落とさなくても良かった、二つ原爆を広島、長崎に投下しました。その犠牲者は約30万人に上ります。また、この二つの原爆は、どのぐらい効果があるかのテストで落とされたと言われています。これこそが民間人に対する無差別殺戮で、非難の対象になるのは当たり前の話しですし、原爆の投下を指示したトルーマン大統領は、原爆を投下した事を、後に後悔しています。これもまた事実です。そして、このような詳細は教科書には記されていないと思います。また、東京大空襲にも、同じ事が言えると思います。
原爆、東京大空襲の事では、まだ、記したいこともありますが、きりがなくなりますのでこの辺りで止めておきます。そして、他にもこのような真実は山ほどあります。私が言いたいのは、このような真実も歴史教育に入れないのは、フェアではないと言っているのです。なぜなら、詳細を記載しない事によって、一方的に日本が悪い、残虐な行為をしたという印象を子供達、大人達の心に植えつけるからです。それらの真実、事実を知らない方々の事を自虐史観というのです。また、自虐史観からくる自虐思想は、人の心を希薄にし、世の中を荒廃させます。また、戦争は、喧嘩両成敗という側面もあると思います。日本が一方的に悪いという事はありえないという事です。
この東京裁判は、11ヶ国の国から11人の判事の方を任命していますが、その中にこの戦争での、中立国は含まれておりません。つまり公平ではなく、戦勝国の日本の弱体化を狙った一方的な復讐、リンチ裁判だったのです。多数決で裁判には負けましたが、4人の判事が戦犯の方々を、擁護する判決を述べられています。これも事実です。そして、裁判の中で、弁護人は「南京大虐殺は事実と異なる・・・」と言っています。もちろん、戦争をしていたのですから、日本軍、戦闘による兵士の殺害行為はあったと思います。しかし、それはお互い様です。
それに、中国が公式のルートで発言している、30万人だとか3500万人の民間人を殺戮したというのは、虚構です。それを未だに信じている方々を、自虐史観と言うのです。詳しくはこちらをご覧下さい。また、中華民国、蒋介石総統は、「南京には大虐殺などありはしない。何応欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとその事を記録している筈です。私も当時、大虐殺(民間人)などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・。」と、目を真っ赤にして涙ぐみながら語ったそうです。(東京裁判で南京大虐殺とは、民間人を殺戮した事を言っていて、軍人は含まれておりません。戦闘行為をしているのだから、中国軍、日本軍の戦死者がいるのは当然だと思います。)
この他にも、実際この裁判に立ち会っていた判事や検事は、後に「この極東国際軍事裁判は、誤りだった・・・」と仰っている方がいます。私の言葉よりも、その方々の発言内容の方が信憑性があると思うので、こちらをご覧下さい。原爆投下も誤りだったとする米軍関係者の発言もありますので、色々なwebをご覧になってみると良いと思います。また、私が行政機関、企業などの犯罪、不祥事を指摘している時に使う言葉、「長いものに巻かれ続けるのは良くない・・・」についても解説していて、私がいつも言っているこの言葉の源泉は、東京裁判、戦後の処理にあったのかと納得しました。このweb、7、 当事者たちも告白している東京裁判の違法性、最後の部分に記されています。
そして私が言いたいのは、日本の歴史の教科書はフェアではなく、アンフェアという事です。表現を換えれば、偏っているバランスの悪い歴史教育です。これは、GHQに歪められしまった事実ですし、マッカーサー憲法(現日本国憲法)が関係しているのは明らかです。したがって、歴史教育は悪い方向になら転換しましたが、良い方向には転換していないです。詳しくは「東京裁判史観とは何か・・・」をご覧下さい。
また、パール判事は「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその假面を剥ぎとった暁には、そのときこそ正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう・・・。」(パール判事判決文より)とも仰っています。解り易く言うと「やがて長い年月が経ち、世界の人々が復習ではない、公平な見方で歴史を見ることが出来るようになった時には、この裁判が正しい裁判ではなかったことを、多くの人が理解できるようになるであろう・・・。」となります。詳しくは、こちらをご覧になって下さい。私は、この言葉は日本国民として有り難いと思いました。
極東国際軍事裁判では、日本が悪事の限りを尽くしたかのような、一方的な誤った判決がでていますが、一方アジア諸国では「日本はアジアの母である・・・」と発言している国もあります。決して、悪い事ばかりではないのも事実です。
そして我々国民は、歴史の真実を知り、自虐史観、自虐思想から脱却し、日本人本来の心を取り戻し、日本人としての誇りを蘇らせるべきです。その事が世の中の荒廃を止め、健全な社会作りに貢献するのだと思います。決して、軍国主義が良かったというのではなく、戦前の日本にも良いところや優れた面があったと思います。その全てを変えてしまったのが、極東国際軍事裁判、GHQによって占領支配下にあった期間に行われた洗脳政策が、現在の日本に影響している事は間違いないと思います。
また、なぜ歴史教育なのかという事は、次の機会に表現したいと思います。そして、各人物の発言内容以外は、私なりの言葉で表現し、誰に頼まれる訳でもなく、記載をしたものです。また、下記のwebでは東京裁判が誤りだった事実が記されています。ご覧になると驚くほどの真実がこの世に蘇ります。
そして、キーナン検事の「日本の首相として戦争を行なったことについて、道徳的、法律的に間違っていなかったと思うか・・・」この問いに、
東條英機元首相は「間違ったことはしていない。正しいことを実行したと思う・・・」と答えました。極東国際軍事裁判は、東條英機元首相のこの言葉が全てを物語っています。しかしながら私は、戦争行為を肯定している訳ではないので、誤解のないようにお願い致します。
そして、日本は無条件降服はしていないそうです。抵抗はしましたが、GHQ、マッカーサー元帥の傲慢さで、この裁判を受け入れるしかなかったのです。詳しくはこちらをご覧下さい。 それに、現日本国憲法は、GHQ、これもまたマッカーサーの手によって歪められたのです。当時は、マッカーサー憲法と呼ばれていました。詳しくは、こちらをご覧下さい。
マッカーサーは後に、「日本は、絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他、実に多くの原料が欠如している。そして、それら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです・・・。」と公式ルートで言っています。
つまり、侵略戦争ではなく、防衛戦争だったのです。また、この裁判は誤りだったと認めている発言でもあると思います。これもまた事実です。この資料は、小学校、教員の方小林義典のホームページで発見しました。この先生は子供達に、東京裁判の事を教えています。とても素晴らしい先生だと思いました。
そして、靖国神社は、「昭和殉難者(元A級戦犯)は、戦勝国の都合で裁かれた・・・」と一貫して言っています。また、遺族の多くの方々も同じ見解でいると聞きました。このように、一方ではそのような方々もいるのも事実です。私は、偏っている認識では歴史は語れない、バランスが悪いと言っているのです。その偏りが日本を荒廃させている所もあります。そして、このような趣旨の発言をなさる方は、靖国の見解、遺族の方々の見解をどのように感じているのでしょう・・・。私は、凄く不思議です。
この東京裁判の立ち会ったインドのパール判事は、元A級戦犯は無罪と主張し、米軍の原爆投下も非難しました。米軍は、落とさなくても良かった、二つ原爆を広島、長崎に投下しました。その犠牲者は約30万人に上ります。また、この二つの原爆は、どのぐらい効果があるかのテストで落とされたと言われています。これこそが民間人に対する無差別殺戮で、非難の対象になるのは当たり前の話しですし、原爆の投下を指示したトルーマン大統領は、原爆を投下した事を、後に後悔しています。これもまた事実です。そして、このような詳細は教科書には記されていないと思います。また、東京大空襲にも、同じ事が言えると思います。
原爆、東京大空襲の事では、まだ、記したいこともありますが、きりがなくなりますのでこの辺りで止めておきます。そして、他にもこのような真実は山ほどあります。私が言いたいのは、このような真実も歴史教育に入れないのは、フェアではないと言っているのです。なぜなら、詳細を記載しない事によって、一方的に日本が悪い、残虐な行為をしたという印象を子供達、大人達の心に植えつけるからです。それらの真実、事実を知らない方々の事を自虐史観というのです。また、自虐史観からくる自虐思想は、人の心を希薄にし、世の中を荒廃させます。また、戦争は、喧嘩両成敗という側面もあると思います。日本が一方的に悪いという事はありえないという事です。
この東京裁判は、11ヶ国の国から11人の判事の方を任命していますが、その中にこの戦争での、中立国は含まれておりません。つまり公平ではなく、戦勝国の日本の弱体化を狙った一方的な復讐、リンチ裁判だったのです。多数決で裁判には負けましたが、4人の判事が戦犯の方々を、擁護する判決を述べられています。これも事実です。そして、裁判の中で、弁護人は「南京大虐殺は事実と異なる・・・」と言っています。もちろん、戦争をしていたのですから、日本軍、戦闘による兵士の殺害行為はあったと思います。しかし、それはお互い様です。
それに、中国が公式のルートで発言している、30万人だとか3500万人の民間人を殺戮したというのは、虚構です。それを未だに信じている方々を、自虐史観と言うのです。詳しくはこちらをご覧下さい。また、中華民国、蒋介石総統は、「南京には大虐殺などありはしない。何応欽将軍も軍事報告の中で、ちゃんとその事を記録している筈です。私も当時、大虐殺(民間人)などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・。」と、目を真っ赤にして涙ぐみながら語ったそうです。(東京裁判で南京大虐殺とは、民間人を殺戮した事を言っていて、軍人は含まれておりません。戦闘行為をしているのだから、中国軍、日本軍の戦死者がいるのは当然だと思います。)
この他にも、実際この裁判に立ち会っていた判事や検事は、後に「この極東国際軍事裁判は、誤りだった・・・」と仰っている方がいます。私の言葉よりも、その方々の発言内容の方が信憑性があると思うので、こちらをご覧下さい。原爆投下も誤りだったとする米軍関係者の発言もありますので、色々なwebをご覧になってみると良いと思います。また、私が行政機関、企業などの犯罪、不祥事を指摘している時に使う言葉、「長いものに巻かれ続けるのは良くない・・・」についても解説していて、私がいつも言っているこの言葉の源泉は、東京裁判、戦後の処理にあったのかと納得しました。このweb、7、 当事者たちも告白している東京裁判の違法性、最後の部分に記されています。
そして私が言いたいのは、日本の歴史の教科書はフェアではなく、アンフェアという事です。表現を換えれば、偏っているバランスの悪い歴史教育です。これは、GHQに歪められしまった事実ですし、マッカーサー憲法(現日本国憲法)が関係しているのは明らかです。したがって、歴史教育は悪い方向になら転換しましたが、良い方向には転換していないです。詳しくは「東京裁判史観とは何か・・・」をご覧下さい。
また、パール判事は「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には、また理性が虚偽からその假面を剥ぎとった暁には、そのときこそ正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう・・・。」(パール判事判決文より)とも仰っています。解り易く言うと「やがて長い年月が経ち、世界の人々が復習ではない、公平な見方で歴史を見ることが出来るようになった時には、この裁判が正しい裁判ではなかったことを、多くの人が理解できるようになるであろう・・・。」となります。詳しくは、こちらをご覧になって下さい。私は、この言葉は日本国民として有り難いと思いました。
極東国際軍事裁判では、日本が悪事の限りを尽くしたかのような、一方的な誤った判決がでていますが、一方アジア諸国では「日本はアジアの母である・・・」と発言している国もあります。決して、悪い事ばかりではないのも事実です。
そして我々国民は、歴史の真実を知り、自虐史観、自虐思想から脱却し、日本人本来の心を取り戻し、日本人としての誇りを蘇らせるべきです。その事が世の中の荒廃を止め、健全な社会作りに貢献するのだと思います。決して、軍国主義が良かったというのではなく、戦前の日本にも良いところや優れた面があったと思います。その全てを変えてしまったのが、極東国際軍事裁判、GHQによって占領支配下にあった期間に行われた洗脳政策が、現在の日本に影響している事は間違いないと思います。
また、なぜ歴史教育なのかという事は、次の機会に表現したいと思います。そして、各人物の発言内容以外は、私なりの言葉で表現し、誰に頼まれる訳でもなく、記載をしたものです。また、下記のwebでは東京裁判が誤りだった事実が記されています。ご覧になると驚くほどの真実がこの世に蘇ります。
そして、キーナン検事の「日本の首相として戦争を行なったことについて、道徳的、法律的に間違っていなかったと思うか・・・」この問いに、
東條英機元首相は「間違ったことはしていない。正しいことを実行したと思う・・・」と答えました。極東国際軍事裁判は、東條英機元首相のこの言葉が全てを物語っています。しかしながら私は、戦争行為を肯定している訳ではないので、誤解のないようにお願い致します。
国家に殉じた7人。
東京裁判は「極東国際軍事裁判」と言い、第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)年5月3日~昭和23年(1948年)11月12日にかけて行われたもので、戦争犯罪があったとして連合国側が一方的に日本の指導者を裁いたものです。判決は昭和23年(1948年)11月12日に出され、そのときの宣告の模様がYutubeにあります。子どもの頃にも何かで見た記憶があります。
日米開戦時の首相だった東條英樹は「ウンウン」と頷いているようです。弁護人の清瀬一郎氏は「アアこれは立派に解脱したなと感じたくらい悟りすましたものであった」と述べています。広田弘毅はカメラ側に一礼していました。奥さんは既に自決しており、誰に向かって別れを言ったのか・・・
■絞首刑(死刑)
板垣征四郎
軍人、陸相(第1次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長。(中国侵略・米国に対する平和の罪)
板垣征四郎
軍人、陸相(第1次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長。(中国侵略・米国に対する平和の罪)
木村兵太郎
軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)(英国に対する戦争開始の罪)
軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)(英国に対する戦争開始の罪)
土肥原賢二
軍人、奉天特務機関長、第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
軍人、奉天特務機関長、第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
東條英機
軍人、第40代内閣総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪)
軍人、第40代内閣総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪)
武藤章
軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン)(一部捕虜虐待の罪)
軍人、第14方面軍参謀長(フィリピン)(一部捕虜虐待の罪)
松井石根
軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)(捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件))
軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)(捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件))
広田弘毅
文民、第32代内閣総理大臣(近衛内閣外相として南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任)
文民、第32代内閣総理大臣(近衛内閣外相として南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任)
判決は理由を付することになっていましたが、偏った日本の政治史、軍事史を羅列しただけで各被告の有罪を断じ、判決の理由になる事実と証拠の提示ありませんでした。量刑についてはオランダ判事のレーリンクの回想によると投票による多数決であり、11人中の判事6人で多数派として決まったと述べています。パール判事は全員無罪としたので投票には加わらず、ソ連判事は死刑反対を理由に加わりませんでした。あと、フランスのベルナール判事も加わらず、驚いたことにオーストラリアのウェッブ裁判長も死刑には反対の立場でした。「平和に対する罪」というのは事後法であるから死刑は適当ではない、と述べていたのです。投票は7対4ということになります。レーリンク判事は広田弘毅を無罪としたので、6対5で死刑になりました。主席検事のキーナンは「なんというバカげた判決か。(略) 松井、広田が死刑などとは、まったく考えられない」と漏らしていました。