隠された台湾新総統の暗号
編集委員 中沢克二
- 2016/5/25 6:30
- 日本経済新聞 電子版
中沢克二(なかざわ・かつじ) 1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞
台湾初の女性総統となった民進党の蔡英文。5月20日の台北での就任祝賀式典では、中国側が要求する「一つの中国」に触れるのかに、世界中の視線が集まった。新総統の回答は「一つの中国」には直接、言及しないものの、それを前提とする「現行憲法(かつて蒋介石・国民党政権が大陸で制定した中華民国憲法)体制」を明言することで、中国に一定の配慮を示した。
「政権立ち上げの障害になりかねない大陸との摩擦を避ける手法は極めて巧みだ。だが、けっして中国の圧力に屈したわけではない。答えは、就任演説前の台湾史を巡るパフォーマンスにある。是非、隠された『暗号』を読み解いてほしい」。台湾の老学者による興味深い指摘である。
屋外の就任祝賀式典では、新総統の演説に先立ち、台湾の歴史を時代を追って紹介する「台湾の光」と題した大がかりな歴史劇が披露された。もともと台湾に住む各民族、海外からの移民、民族芸能団体から1000人以上が参加した。そこで強調したのは台湾の民族・文化の多様性。つまり「台湾人としての意識」である。
就任式典で演説する蔡英文台湾新総統(5月20日、台北市)
多くの民族が暮らしていた台湾にポルトガル船が来航。続いてオランダ人、スペイン人らが来た後、17世紀後半に清王朝の軍隊が大陸から台湾に入った。この史実を弁髪の人物ら騎馬隊の闊歩(かっぽ)で表現。ナレーションで、台湾は清という満州族による王朝が統治する「植民地」になったと定義した。
その後が、19世紀末からの日本による「高圧的な統治時代」。日本兵が住民を銃で追い立てる場面は悲惨だった。だが、今回の焦点はそこではない。注目すべきは、清朝の統治との定義の違いにある。
清朝による統治は「植民統治」としたが、日本による統治は「高圧的統治」。高圧的というマイナスのイメージで表現しながらも、植民地という言葉を避けた。ここには、清朝が台湾を「化外の地」と蔑み、見放した経緯への不快感に加え、中原中国と台湾の歴史を明確に分ける考え方がにじむ。
そして日本の敗戦により中華民国の国民党時代に入った後の暗部も演じられた。1947年の「二・二八事件」である。当時の蒋介石・国民党政権が台湾民衆を弾圧し、1万8000~2万8000人が犠牲になったという。史劇には、民衆が銃殺される場面もあった。
祝賀パレードには、2014年の「ひまわり学生運動」を象徴するひまわりの花で覆われた花車も登場。運動の応援ソングである「島嶼天光」も歌われた。
「ひまわり学生運動」は、30歳未満の「天然独」世代が支えた。彼らは「台湾はあえて言うまでもなく自然に独立している」と主張する。総統選で民進党大勝の原動力になった勢力だ。「ひまわり」は祝賀式典の主役として選ばれたのだ。
式典では、1987年まで台湾に敷かれた戒厳令下で放送禁止だった楽曲「美麗島」の大合唱もあった。美麗島事件は79年、雑誌「美麗島」が主催した台湾南部、高雄のデモと警官隊が衝突した言論弾圧の悲劇だ。その後の台湾の民主化に大きな影響を与えた。
中国と異なる台湾の民族・文化の多様性を示した就任祝賀式典の台湾史劇の登場人物ら
5月21日、蔡英文新政権が動いた。国民党の馬英九・前政権の下で中国寄りに改訂されたと民進党が批判していた、学習指導要領の廃止を発表したのだ。
馬英九前政権は「一つの中国」の原則に立ち、「中国」を「中国大陸」に変えた。台湾も中国である、との認識からである。17世紀の明朝の遺臣、鄭成功の台湾時代を巡っては「鄭氏統治」を「明鄭統治」に書き換え、中原の漢民族による明王朝との密接な関係を訴えた。日本の「統治」についても「植民統治」という表現に変更した。
馬英九は1945年の日本降伏後、大陸から台湾に渡ってきた「外省人」のグループに属する。その歴史認識は、現在の中国共産党に近い部分もあった。
今回の蔡英文新政権による改訂は、台湾独自の歴史を重んじる内容だ。就任祝賀式典の台湾史劇もこれに沿っていた。そこには、いわゆる“台湾人”の父母を持つ新総統の歴史観がにじむ。これが蔡英文が入念に仕込んだ「暗号」の意味だ。学者と政治家の両方の顔を持つ新総統ならではの知恵といえる。
とはいえ、中国と台湾が絡む歴史認識を巡る論争は、なお続く可能性がある。それを暗示するのが、就任祝賀式典が開かれた総統府前広場の東に位置する巨大な建物だ。かつての国民党総統、蒋介石の巨像がある中正記念堂である。北京・天安門広場にある毛沢東の遺骸を安置する毛沢東記念堂をもしのぐ規模だ。
“独裁者”をたたえる巨大な記念堂を建設する発想は、かつての国民党と中国共産党に共通する。両党が「仲の悪い双子」といわれた由縁である。
就任祝賀式典では、17世紀からの清朝による「植民統治」を強調する弁髪の人物が乗る騎馬隊も登場した
中正記念堂では今、国共両党の共通項である「抗日」を巡る展示が続いている。抗日戦争勝利70年だった15年7月に始まった「抗日戦争の真相 特別展」は、16年6月までの予定だ。「親中国の馬英九の置き土産――」。民進党内ではこうささやかれている。
その展示は、中国共産党政権の抗日戦争展示と比べれば抑えた形ながら、国民党の活躍を強調している。抗日戦争で実際に旧日本軍と戦ったのは主として蒋介石の国民党軍であり、中国共産党の軍ではない。この意味で戦勝70年を祝う資格は台湾の国民党にある。
だが、15年の70年の祝賀展示を、政権交代の可能性が高いと予想された16年まで持ち越したのは、中国寄りだった馬英九・前政権の所作だ。彼は15年11月、中国共産党総書記、習近平(国家主席)との歴史的な国共トップ会談に踏み切った。
馬英九のもう一つの置き土産は、日本の沖ノ鳥島を「島ではなく岩」とした方針だ。中国と歩調を合わせた言動は、すでに蔡英文新政権が撤回を表明した。
蔡英文の演説内容への中国の反応はどうか。中国当局は、「一つの中国」に言及していないため「完全な回答ではない」と批判している。「まるで偉い教師のような上からの目線だ」。こう台湾メディアは反発する。
とはいえ、武力行使をにおわせるような表現はない。中国側に口実を与えないという点で、蔡英文はハードルをクリアした。中台接触は一時、中断するだろうが、それが直ちに中止を意味するわけではない。
今後の中台関係の展望はどうか。決めるのは習近平、その人である。対台湾政策では、共産党内で習への批判もくすぶる。どう抑え込むのか。「反腐敗」運動を武器に固めたはずの権力基盤の強さとも密接に関わっている。(台北にて、敬称略)
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転載元: 仮称 パルデンの会 ・Free Tibet Palden